こんな夜更けにバナナかよ 渡辺一志

自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか?介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション!
重度の筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんと、彼を支える学生や主婦たち約40名のボランティアの日常を描いた渾身のノンフィクション。人工呼吸器をつけた病の極限化で、人間的自由を貫こうとした重度身体障害者と、さまざまな思惑から生の手応えを求めて介護の現場に集ったボランティアたち。「介護する者、される者」の関係は、ともに支え合い、エゴをぶつけ合う、壮絶な「戦場」とも言えるものだった――。 
史上初、講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した大傑作ノンフィクションが、ボランティアの人々の後日譚を加え文庫化。解説は山田太一氏。
鹿野泰明が、国立療養所を退所してでもケア付き住宅でボランティアの手を借りて自立生活をすることにこだわったのは、国立療養所での嫌な思い出に起因する病院や医療関係者への不信感が原因。
国立療養所は、規則づくめで息苦しく、多くの友人と死に別れ、大学病院や医療関係者の視察の無遠慮な視線に晒され、鹿野は「俺はモルモットじゃない」「どんなことをしても生きていたい」と思いを募らせた。
鹿野は、身体障害授産施設で同期入所した我妻に刺激され、我妻と障害者の自立生活を押し進める「札幌いちご会」という団体を設立し、自立生活や外出に役立つ情報を収録した配信する情報誌を発行し、ケア付き住宅建設運動を押し進めた。
障害者の介護において壁となるのが、「してあげている」「させてあげている」という意識。
介護される側の「こうして欲しい」と介護する側の「ここまでは受け入れられるけど、ここからは受け入れられない」というエゴのぶつかり合いが、介護の場にはある。
その中で妥協点を見つけ、介護される側が出来る部分を増やしていくのが介護。介護の場では、介護する側される側にお互いに対する遠慮は、いらない。介護の場では、剥き出しの人間性が露になる。鹿野とボランティアの人間性のぶつかり合いのドラマ。
そして鹿野のように、「障害者は遠慮して生きていかなければならない」という暗黙の了解に沈黙せず声を上げた人がいるから、障害者の権利が広がったことが解る傑作ノンフィクション。

daiyuuki 全身当事者主義

全身当事者主義。ワーキングプアや毒親やブラック企業などのパワハラやモラハラに苦しみ戦い続けてきた立場から書いた、主にメンタルヘルス、LGTB、ヘイトスピーチ、映画やライブのレビューなどについてのアメブロの記事から、厳選して共有していきたい記事だけ、アメブロと連携します。 クリエイターリンクは、こちら↓ https://lit.link/daiyuuki

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