リバース・エッジ 岡崎京子の最高傑作の映画化

自由に生きる今どきの女子高生・若草ハルナ(二階堂ふみ)は、カレシの観音崎(上杉柊平)が執拗にイジメている山田(吉沢亮)を助けたことをきっかけに、「僕の秘密の宝物、教えてあげる」という山田に誘われ、夜の河原で腐りかけた死体を目にする。
そんななか、宝物として死体の存在を共有しているという摂食障害のモデル・吉川こずえ(SUMIRE)が現れ、3人は友情とは異なる歪んだ絆で親しくなっていく。
一方、父親のわからない子どもを妊娠するハルナの友人・小山ルミ(土居志央梨)と、同性愛者であることを隠した山田に好意を寄せるクラスメイト・田島カンナ(森川葵)は過激な愛情を膨らませていく。
そしてある日、また新たな死体が生まれてしまい、さらなる惨劇が起き3人の奇妙な友情は予想外な方向に向かう。
90年代に人気を博した岡崎京子の同名コミックを行定勲監督が映画化した青春ドラマ。
「わたしたちが住んでいる街には河が流れていて、それは河口にほど近く広くゆっくりよどみ、臭い。河原にはセイタカワダチソウがおいしげっていて、よく猫の死骸が転がっていたりする」
時は、バブル崩壊直後の日本。主人公は、若草ハルナ、山田、観音崎、田島カンナ、吉川こずえ、小山ルミ。彼らは、それぞれ生きている実感を持てず、自分の鬱屈した感情を押し殺しながら自分の中の空虚を何かで埋めながら、表面上は明るく振る舞いながら欲望や衝動をもて余している。
自分や他人の感情を他人事のようにしか感じられないハルナ、小さい頃からいじめられゲイであることを隠し続け生きているのか死んでいるのか分からない空虚な自分を元気にしてくれる原っぱの白骨死体と片思いしている体育会系の同級生を宝物のように生きている山田、崩壊家庭で両親に放置されている寂しさをいじめやドラッグやセックスで紛らわしている観音崎、芸能界で活躍しながら自分の顔が嫌いで「ここにいるのは自分でなくても良いのでは」と思い摂食障害にはまっているこずえ、山田に対する病的なほど恋心を募らせて暴走するカンナ、体の行為を通さないと自分が愛されていると実感出来ないルミ、男にモテるルミの日記を読んだり服を着ることでモテない自分を紛らわしているルミの姉、それぞれが自分の空虚な部分を埋めながらそれでも明るい上っ面を繕う下でマグマのようにくすぶる鬱屈した感情が惨劇を引き起こす心情を、原作から抜け出したかのようなイメージとナチュラルな演技で演じ切る二階堂ふみや吉沢亮など若手演技派俳優の演技に加え、それぞれのキャラクターが監督から「生きているってどういうことだと思いますか?」「愛って何だと思いますか?」とキャラクターの核心をつくインタビューを通して描いているので、かつてのそして今の10代にも共感しやすい。
クライマックスでの、ウィリアム・ギブソンの詩が二階堂ふみと吉沢亮の朗読で流れるところと、ハルナと山田の別れの会話は、彼らのかすかな希望を思わせるもので、彼らが惨劇を超えて生きていく未来が見える爽やかな後味で、小沢健二の主題歌も爽やかで、閉塞感に苦しむ若者や大人に見てもらいたい青春映画の金字塔です。
「平坦な日常で僕らが生き延びること」
原作漫画のレビュー↓

daiyuuki 全身当事者主義

全身当事者主義。ワーキングプアや毒親やブラック企業などのパワハラやモラハラに苦しみ戦い続けてきた立場から書いた、主にメンタルヘルス、LGTB、ヘイトスピーチ、映画やライブのレビューなどについてのアメブロの記事から、厳選して共有していきたい記事だけ、アメブロと連携します。 クリエイターリンクは、こちら↓ https://lit.link/daiyuuki

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