時代に翻弄された「ランボー」とスタローン その生きざまと戦い
「ロッキー」シリーズ以外のアクション映画の当たり役を得られないシルヴェスター・スタローンは、カロルコ・プロダクションのプロデューサーのマリオ・カサールが持ってきたある企画を受けた。
その企画は、デヴィッド・マレルの小説を映画脚本化したもので、ワーナーが映画化権を取得していたが10年間倉庫に仕舞い込まれていたものだった。
脚本を読んでスタローンは、新しいアクションに挑戦出来るジョン・ランボーに興味を持った。
スタローンは、元軍人からサバイバル・スキルを習い、退役軍人病院を訪問してベトナム退役軍人から様々な体験談を聞き映画の中に取り入れた。
またスタローンは、ジョン・ランボーを単なる殺人機械ではなく、なるべく敵意を剥き出しにするのを我慢し戦いを避け、トラウマに苦しむ人間性を盛り込んだ。クライマックスでランボーは、トラウトマン大佐に帰国後ベトナム帰還兵が舐めた辛酸や孤独感やトラウマについて激白するが、スタローンはそのシーンに帰還兵から聞いた悲しみや苦しみを込めた。
「ランボー」が公開した前後にスタローンは、ベトナム帰還兵支援組織に多方面から協力してベトナム帰還兵支援組織が全米に拡大して、ベトナム帰還兵の状況や苦悩が理解されることに尽力した。
「ランボー 怒りの脱出」では、あまり知られていなかった戦闘中行方不明者に着目して、スタローンは「俺たちがこの映画でやったことは、アメリカ合衆国やベトナム帰還兵や行方不明者に理解を深め、誇りを持ってもらうことだった」と、当時あまり知られていなかった戦闘中行方不明者に対する不当な扱いを周知させることに成功した。
だが一方で、レーガン大統領のタカ派的な姿勢に利用され利用したスタローンは、リベラル派から非難され、スタローンのイメージが「ムキムキの肉体でマシンガンを乱射する脳筋野郎」というイメージとして揶揄された。
だが、「怒りの脱出」でランボーが怒りを爆発させるのは、北ベトナム兵やソ連兵という以上に、戦闘中行方不明者の存在を隠蔽しようとするアメリカ政府に怒りを爆発させる。
陸軍復帰を勧めるかつての上官トラウトマン大佐にランボーは、「ベトナムで戦友がたくさん死に、俺の心も死んだ。陸軍に戻るつもりはない」と答えた。トラウトマン大佐は、「あの戦争は間違っていたが、国を恨むな」と諭すのに、ランボーは「国は恨まない。命を捧げる」と答えた。
トラウトマン大佐は、「君の望みは何だ?」と問うと、ランボーは「あの戦争中行方不明者と同じこと。遠く異郷で飢えに苦しみ戦った者たちが望んだこと。国を俺たちが愛したように、国にも俺たちを愛して欲しい」と激白するシーンは、戦争に参加した兵士の叫びを代弁した名シーン。
「ランボー3 怒りのアフガン」では、パワーアップしたアクションシーンと戦う理由をなくしたランボーが「虐げられた者のために戦う」という存在意義を取り戻す熱いドラマは好評だったが、映画が公開直前にアフガニスタンからソ連が撤退して映画のストーリーにリアリティがなくなってしまうというタイミングの悪さに遭遇する不遇な映画だった。
スタローンのような肉体を酷使するアクション映画は飽きられ始めていて、スタローンのキャリアも低迷期に入る。
「ロッキー・ザ・ファイナル」でロッキー・シリーズにケリをつけ低迷期から脱出したスタローンは、「ランボー」シリーズの新作の構想中にミャンマー軍がカレン族を弾圧していることを知り、「ランボーがミャンマー軍と戦う」ストーリーを思いついた。
監督、脚本も担当したスタローンは、今までのシリーズにはないミャンマー軍のカレン族に対する残虐な弾圧や戦闘シーンのリアルな描写にこだわった。おかげで、ミャンマー軍のカレン族への弾圧が、国際的に非難された。
「ランボー ラスト・ブラッド」では、故郷アリゾナの牧場で隠遁中のランボーが、メキシコの人身売買組織と戦うというストーリーで、国のためではなく家族のために戦うランボーの姿が描かれる。
未だに、戦争で負ったPTSDは癒えず、安定剤は手放せず、あらゆる銃やブービートラップ用の爆薬は欠かさないし、牧場の地下にはトンネルを張り巡らせ、あらゆる銃をトンネルに隠しておき、そこでなければ眠れないランボーの姿が、描かれている。
自分の命より、養子の娘ガブリエラのため死に場所を探して戦う老いたランボーの姿は、戦いの中でしか生きられない業を感じ、涙してしまう。
国というより同胞や愛する人のために戦うジョン・ランボーは、世界中で戦う兵士の代弁者であり、戦争に苦しむ帰還兵の代弁者であり、孤独な戦いは戦争の残酷さや理不尽を教えてくれる。
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